先月から自分の地域では非等価に切り替わった事は以前に記事にも書いた。
もっとも先月俺は公務員試験を控えていてあまりホールには行かなかったのだが。
公務員試験を終えた後、メインのホールに舞い戻ってみれば随分と閑散とした店内に少し驚いた。
非等価に切り替わった直後はもう少し活気があったような記憶があったのだけれど。
どうやら「等価交換」ではないらしいという事が客に知れ渡ったみたいだ。
店としてもこの状況は危機感を覚えるべきではあるが、なんとかしようという気持ちは見えてこない。
それから1ヶ月近く経った今になって、同業者と呼ぶべき人種が主に減ったのだと気付いた。
このタイミングで減ったという事は、換金率が関係しているのは間違いないだろう。
ともあれ台の掛け持ち遊戯や他人の後ろで張り付く人間が減ったのは喜ばしい。
もっともそこまでしなければならない状況であるから、その時期が早まっただけに過ぎない。
ホールだけに当然限らず力あるものは生き残り、力なきものは消え去るのは世の常である。
冷酷かもしれないが同情の余地は全く無いしむしろ当たり前だと考える。
俺が逆の立場であっても、それはただ単に自分に力が無かっただけの事。
そうなった原因はすべて自分にあるのだから消え去ったという事実を受け入れるだろう。
そういう考えであるためか、他人を救おうなんて考えは俺の頭の中には無い。
そうなる前に解決するための行動はいくらでも起こせたはずだろう。
ただ、自分がやりたいと思ったことが結果的に他人を救う事になるケースはあるかもしれない。
逆に言えば自分の欲求を満たすもので無ければそういった事はしないのだが。
自身に降りかかる結果にはすべて自身が責任を持つべきだ。
他人に原因があると考えるのは俺は好きにはなれない。
とまあ俺自身はこのように考えてはいるのだがそう考えない人も多いだろう。
もちろんどちらが正しいかなんてものは無いから、そう考えてもいいし考えなくとも良い。
どうしても他人のせいにしないと生きていけないのであれば、それも立派な生き方だ。
俺は好きになれないけれど。
という訳で俺が
公務員試験の一次試験に落ちたのも力が無かっただけなのである。
(結局これが言いたいだけだったりする)
優れたものは2次試験へと進み、劣ったものは取り除かれる。
数少ないであろう応援してくれた方に謝っておきます、一次落ちました。
それなりには頑張ってたんだけど他の人はもっと頑張ってたみたいだよ!
いやー、教養科目と専門科目ってのがあるんだけど配分ミスったねw
教養科目の「数的推理」がパズルみたいで面白かったからそればっかりやってた^p^
実際は専門科目にこそ時間を割くべきだったみたい。
まあ1回受けてみないとわかんないよねー^p^
モチロン公務員の道を諦めたわけじゃないよ!
まだ1回近いうちにチャンスがあるのでそっち頑張ってみる予定!
今年ダメだったら公務員一旦諦めてどっかに就職するつもり
スロニート生活も悪くないけれどあまりにも刹那的な生き方過ぎる。
最低限の社会的信用はいくら自分は気にしないと言ってもやっぱり必要だよ!
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